タイのキリスト教

タイのキリスト教

2001年3月12日元田時男

 

タイといえば仏教というのが最初に思い浮かびます。事実、国民の95%が仏教徒と言われ、至る所に寺院があります。教育省宗教局の統計によりますと1998年で全国に3万102の仏教寺院があります。僧侶の数は26万5千956人、未成年の見習い僧が8万7千695人で、実に男性人口の約1割を占めます。ではタイにキリスト教徒はいないのか、キリスト教の影響はと問われると、人口の0.6%と少数ながらキリスト教徒は存在し、同じく宗教局の統計では教会数1千849、内プロテスタントが1千442、カトリックが407であります。また、私立学校もレベルの高い学校はキリスト教ミッションスクールであります。そこで、タイのキリスト教について調べてみました。

 タイの統計局が1995年に大変興味ある調査を実施しました。「文化活動、余暇に関する調査」で、全国2万6千427世帯をサンプル調査して推計したものです。それによりますと、満6歳以上のキリスト教徒は全国に33万5千400人、人口の0.6%と出ています。日本の場合、1995年で文化庁の統計によりますと145万人、ですから人口割にすれば、タイは日本の半分弱ということになります。ただし、日本の場合は幼児洗礼を受けた6歳未満も含まれていると推定できますので、一概に比較はできませんが、大筋ではこのようなものでしょう。

 タイにキリスト教が入ってきたのは、16世紀アユタヤ時代のポルトガルの宣教師により始まったと歴史にあり、一方プロテスタントは1828年ドイツ人とイギリス人の医者である宣教師によって始まったと「タイの事典」にあります。そうなりますと、プロテスタントについてはタイは日本より早く宣教が始まったにのに、日本より教徒数が少ない
のであります。

 この点について、色々な説がありますが、矢張り、日本と比べて仏教が生活の大きな部分を占めて来たという違いがあると思います。タイ文化の研究者である、石井米雄氏は著書「タイ仏教入門」で、プロテスタントの宣教は、タイ仏教にも対抗上新しい改革を起こしたことを紹介しています。また、同じく神を必要としない仏教があまりにも深く民衆に浸透していることを、キリスト教が普及しなかった原因として挙げています。また、神はプラジャオと訳されているが、これがキリスト教の宣教にとって不幸であったとも述べています。私は、タイ語の聖書が非常に難しいタイ語であり、教育程度がタイとは比較にならないほど高かった明治時代の日本と比べますと、民衆の中に入り難かったこともあるのではないかと感じています。

 先ほどの統計局の統計で、地域別のキリスト教徒数を見ますと北部はバンコクは10万3千700人で、全体の約3割、北部が7万8千200人で、バンコク、北部合わせて全体の約半分となります。バンコクが多いには、中国系が多いということに原因があろうかと思います。北部が意外と多いのは、ラマ5世時代にチェンマイ王はキリスト教の布教に寛大であったと聞いていますし、それにより医者である宣教師が医療を通した宣教に力を注いだことも大きかったと思います。事実チェンマイには、宣教師が建てた大きなハンセン病の病院が現在も活動しています。また、プロテスタントの神学校もあり、ここの卒業生が全国の教会で活躍しています。日本からも教師が派遣されていまして、1960年代終わりころ、日本人教師の家でのクリスマスパーテイーに招かれたとき、若い神学生は殆ど北部の出身でありました。また、チェンマイのみならず、チェンライ、パヤオ、ナンのような農村地帯には仏教寺院と並んで教会があちこちに立っています。また、ミッションスクールも良い学校があり、チュラ、タマサート入学者を輩出しています。

 さて、日本では洗礼を受けたが、その内教会に行かなくなったという脱落者が結構多いようです。最近はアメリカ、ヨーロッパでも教会へ行かない人が多くなったと聞いています。そこで、先ほどの統計で、タイの場合を調べてみます。全国で、毎週礼拝の出席するというクリスチャンは全体の61.5%になっています。ときどき行くと合わせると86.1%を占めます。日本にはこのような調査があるかどうか分かりませんが、タイは日本と比べて礼拝出席率が高いような気がします。もっとも、日本の信者数統計は統計上は各教会の名簿にある会員を全部出し、それを積み上げたものと思われ、タイの場合は聞き取りによる現在でしょうから、一寸比較できない面もあろうかと思います。

 最後に私が、タイのキリスト教、それもプロテスタントについて感じていることを述べてみます。一つは前述の通り、聖書の言葉に仏教用語も入っており、難解な言葉もあり、王族の言葉も使われています。例えば、新約聖書のヨハネ伝の冒頭にある有名な一節「始めに言葉ありき」でありますが、「言葉」はプラワータッと訳してあります。プラはタイ語で尊いものに着ける接頭語でありワータッという言葉は富田辞書ではありませんが、ワートという言葉はあります。これは言辞、語句、主義、見解の意味でサンスクリットとありますので、この言葉からの造語ではないでしょうか。英語は一番古いKing James Version 以来 ”the Word” であります。中国語は「道」となっています。また、旧約聖書の冒頭「神最初に天地を創りたまえり」の創るはネラミットサ―ングと非常に難しい言葉であります。

 もう一つは、キリスト教に関するタイ語の本が極端に少ないことではないでしょうか。日本の場合、例えば、銀座の教文館というキリスト教専門書店に行きますと、実に沢山日本語の本があります。ここだけ見ますととても日本のキリスト教が少数派とは思えないほどであります。ところが、タイの場合、バンコクにある専門店数カ所を回っても殆どタイ語も英語もありません。信者数は人口割で日本の半分とすると、もう少し本があってもいいのではないかと思います。

 以上、タイにおけるキリスト教について概観してみました。タイには外にイスラム教徒がいます。特に南部に多いのです。そこで、タイの公立学校でも、教科書では世界の三大宗教と言われる、仏教、キリスト教、イスラム教について、ほぼ同じ紙数を使って解説しています。日本では公立学校での宗教教育は禁じられています。そこに、日本でオカルト的宗教が多く、タイには少ないという原因があるのではないかと思いますが如何でしょうか。