タイの2002年営業秘密法について

タイの2002年営業秘密法について

2020年12月25日元田時男

1.はじめに

 旧GATTに基づく多国間貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド1986-94年)では物の貿易のみならず、金融、サービス、知的所有権など目に見えないものの貿易についても包括的に話し合われたことが、戦後一環して行われてきたGATTの多国間貿易交渉と異なるところであった。中でも知的所有権の分野は、世界的に技術が広がって行くにつれ、海賊版の出現、特許、意匠権の侵害など深刻な問題になっていることから、特に重点分野として話し合われた事項であった。

その結果、製造ノウハウなど、企業が重要秘密として扱っているものを特許権などと同様、保護する法的整備を行うことを定めたTRIPS協定(Agreement on Trade-Related Aspects of Intellectual Property Right)がWTOを設立する「マラケシュ協定の付属書1C」として1994年に成立したのである。WTO(World Trade Organization)も、その翌年1995年1月に従来のGATTに代わるものとして発足した。

 WTOは内国民待遇、最恵国待遇などGATT時代の基本的な事項を含み、TRIPS協定には、特許権、商標権、意匠権、集積回路の回路配置などの知的所有権といわれるものに営業秘密の保護も加えられているが、タイも日本も当初から加盟しているのである。

 本協定の39条が保護に関する規定であるが、概略以下のことが盛り込まれている。

(1)TRIPS協定加盟国は1967年工業所有権の保護に関するパリ条約(タイは長年加盟していなかったが2008年8月に加盟)の10条の2に規定されている不正競争からの保護を講ずる。
(2)加盟国は、一定の条件に合致する場合、自然人、法人は自己が保有する営業秘密を他人が公正な商習慣に反する方法で開示、取得、使用することを防止することができるような法的措置を講じる。
(3)営業秘密の定義は以下の通りである。

1)自己の管理下にある情報であること
2)秘密の情報であること
3)秘密であることにより商業的価値があること
4)秘密保持の処置が講じられていること

TRIPS協定は、発展途上国に対しては協定発効(1995年1月1日)から5年間の猶予規定が設けられていたのであるが、タイは特許、意匠、著作権、商標、IC回路は2000年までに法改正、制定を行い、「営業秘密法」は最後に残され、2002年にようやく成立している。

日本では、ウルグアイラウンドの最中、1990年に「不正競争防止法」の改正により、営業秘密の保護が導入され、その後この法律は1993年に全面的に改正されて新法として1994年5月に施行されている。その後もほとんど毎年のように改正され今日に至っている。

タイの「2002年営業秘密法」は、2002年4月23日付官報で公布され、公布から90日後に施行された。本法の趣旨は、企業などが秘密としているノウハウなどを他人が勝手に開示、使用することを防止することにある。タイに進出した企業にとって、人材流動の激しいこともあり、こうしたノウハウの保護には苦心するところであるので、本法の概要を紹介した

2.タイの2002年営業秘密法の概要

以下、この法律の概要を見て行く。
(1)営業秘密の定義
 第3条で「一般に知られていない営業上の情報、または秘密であることから営業上の重要な部分をなし、所有者が秘密として維持することが適当とするもの」と定義されている。一応前述のTRIPS協定の定義に沿っているということができよう。
(2)他人への使用許諾
 第5条の規定であるが、文書で行うこと、期間の定めがない場合10年間とすると定められている。日本にはない規定であるが、営業秘密の保有者が合意して許諾するのであれば技術移転の活発化の見地から積極的に明文化しておこうという意図によるものと思われる。
(3)管轄裁判所
 14条で、営業秘密の権利行使および裁判は「知的所有権・貿易裁判所」とされ、同裁判所の訴訟法が適用される。この裁判所設置法・訴訟法は1996年に制定され1997年の12月1日に裁判所は開所している。当時としては世界にまれな専門裁判所である。この裁判所の特徴をいくつか挙げてみると以下の通りである。

1)キャリア裁判官2名のほか1名の職業的判事ではないその道の専門家を裁判官とする参審制をとっていること(労働裁判所など、その他に専門裁判所も同様参審制を採用している)。
2)上訴は、従来は裁判の迅速化をはかる目的で、2審を飛び越えて最高裁へ上訴していたが、第2審として2015年に特別専門事件控訴裁判所が設立され、この裁判所へ上訴することになり、最高裁判所は、2015年に改正された民事訴訟法249条により、案件が公共の利害に関係するなど六つの条件に合わないと審理しないことになったので、実態は従来通りの跳躍ではないが第2審で終わり、迅速化が保たれている。
3)審理手続きが簡素化され迅速な裁判が行われること
 概略以上であるが、最近日本でも法制ビッグバンの動きの中で、知的所有権ではタイと似た裁判所の専門化がはかられ。ただし、日本の場合も知的財産の裁判については、専門性が要求されるところから、1950年以来、90年までに東京高裁、地裁、大阪高裁、地裁に知的財産部が設けられた経緯がある。さらに専門員が裁判において専門的立場から助言する制度も導入されている。

(4)差止、損害賠償請求権
 権利を侵害されたか、侵害されようとしている場合、裁判所へ差止めの請求ができ、損害賠償を要求して裁判所へ提訴することもできる(9条)。ただし、提訴は侵害および侵害者を知った日から3年以内、侵害があった日から10年以内に行わなければならない(10条)。日本の場合も、侵害の停止または予防を請求する権利は、事実を知った日から3年で時効が消滅することになっている。
(5)営業秘密法委員会による調停、和解
 委員会については後述するが、この委員会による法廷外での解決を明文化している(9条)。これは日本にない特徴である。現在世界的に広がりを見せている、法廷外紛争解決(ADR-Alternative Dispute Resolution)を意識しているともとれるし、タイ的な法廷による争いを好まない特徴の一つかともとれる規定である。
(6)裁判所による穏便な解決
 上述(4)と関連するが、裁判所は侵害事件を審理した結果、特に命令を出す必要がないと判断したとき、または、侵害があると判定したが命令を出すことが適当でないと判断したとき、侵害者は、裁判所が適当と定める報酬を支払うことにより引き続き使用を認められる(11条)。日本的感覚あるいは国際的感覚からいえば、白黒決着をつけたいところであるが、これもタイ方式による紛争解決であろう。
(7)賠償金
 裁判所は以下の基準で賠償金を決定することができる(13条)。

1)実際の損害額に、営業秘密により得ることのできる利益も加算できる。
2)賠償額を決定できないときは、裁判所が適当と認める金額を定めることができる。
日本の場合は、損害額の立証が困難であるところから、受けた損害は侵害者の得た利益であると認定するという規定を設けている。
3)権利侵害が故意であるという明白な証拠がある場合、上記の賠償額に加えて、賠償額の2倍以内の賠償金を決定することができる。
 ここは懲罰的な賠償金を命令するという規定である。

(8)政府機関による営業秘密の管理
 15条では、新規の薬品、農薬を製造、輸入、輸出、販売する場合、政府機関による審査があるが、その資料の中に営業秘密がある場合、政府機関はその取り扱いに注意しなければならない。また、取り扱い規則を具体的に挙げている。公務員が職務上知りえた秘密を漏洩することは禁止されるのは常識であり、タイの1992年一般公務員法87条でも明確に規定されていることから、不要な条項とも思われるが、タイでは必ずしも守られないことを考慮した規定ではなかろうか。
(9)管轄省、営業秘密委員会

1)タイの法律には必ず委員会が設けられるが、この法律も例外ではない。先ず、本法は4条で農業・協同組合相、商業相、保健相の共管とし、各省の専管事項については各省で、担当官を選任し、省令、規則を公布する権限を与えている。
営業秘密委員会は、商務省事務次官を委員長とし、知的財産局(商務省)局長を副委員長、農業職業局長および食品・医薬品委員会事務局長を委員とする。
2)その他に、科学、技術、工業、農学、薬学、貿易、経済学、法学その他の専門家を11人大臣が任命、少なくとも6人は民間人であること。
3)委員会は、知的財産局の職員を秘書長、秘書長補佐ととして任命する。
4)委員会の権限は、営業秘密保護政策について商務大臣を通じて内閣へ具申すること、省令、規則の立案について大臣へ助言を与えること、紛争の調停を行うこと、その他となっている。
5)23条では、調停以外の場合、証人喚問、証拠提出の命令を行うことができるようになっている。

(10)本法の執行
商務省の知的所有権局が行うと規定され、委員会の権限委譲の範囲において、他の政府機関と協力して業務を執行するとあり、委員会の事務局のような位置付けである(25条)。
(11)担当官の権限
 大臣は担当官を任命して、証拠隠滅の恐れがある場合、事業所等へ立入り調査をおこなう権限を与え(27条)、その業務執行にあたって担当官には刑法に基づく検察官としている(30条)。委員長、委員も本法執行にあたり同様の検察官としている。
(12)罰則
 主なものを挙げると以下のとおりであるが、前述の損害賠償に加えて刑事罰も重なる。
(イ)担当官の公務執行を妨害すれば1年以下の懲役もしくは2万バーツ以下の罰金、または併科(31条)。
(ロ)営業秘密を故意に開示し損害を与えた場合1年以下の懲役もしくは20万バーツ以下の罰金、または両方(33条)。
(ハ)前述の公務員が、製造、輸入等の許認可で知り得た営業秘密を自己または他人の利益のために不正に開示した場合、2年以下の懲役もしくは20万バーツの罰金、または併科(34条)
 ここでは、公務員には大きな処罰を規定している。

3.従業員に対する対策

 以上、経緯から法の概略を見てきたが、元々TRIPS協定は先進国には都合よく、発展途上国には都合が悪くできているということができよう。つまり営業秘密は先進国に集中しており、発展途上国は技術移転によりそれが欲しいのである。タイの場合も、BOI認可事業奨励の条件として技術移転の促進に大きな比重を置いている。その一方で進出企業は親企業が長年かかって築き上げたノウハウは守らなければならないというジレンマがある。
 タイの政府も一応TRIPS協定による宿題は果たし、刑事罰を設けているものの、この法律の全体を見渡すとあちこちに緩やかな規定も設けているのである。また、グレーゾーンも見受けられる。
 また、重要なことは、営業秘密の定義の中に「秘密であることにより営業的価値がある」という意味が含まれていることであり、逆に一般に周知のものは営業秘密ではないのである。
 従って、営業秘密はアクセスできる者を限定し、漏洩しないことを約束し、同時に退職後競合先への就職についても一定期間制限し、違反の場合の処置も明確にして、その他の従業員とは別に雇用契約書等を締結しておくことが肝要である。退職後の就職先の制限についても、職業の自由という人権問題もからむので、契約の全体について、労働問題等の専門弁護士とよく相談しておくことが欠かせない。

(おわり)

参考:知的財産高等裁判所ウェッブサイト(2020年12月20日アクセス)